ああ、そうだね。このトリ助・リオンでさえ、かつて同じ疑問を抱いたことがあるよ。なぜ<稲妻>を再録しておいて<ショック>に戻すような真似をするんだ、ってね。<稲妻>は過去の過ちである、と認めたうえで<ショック>を作ったのだとばかり思っていたからね。よし、じゃあ今日は基準となるカードについての話だな。

派生カードの基準

基準となるカード、という言葉には2つの意味がある。あるカテゴリーのカードには、元となるカードがあってそこから派生するカードがある。例えば<取り消し>は3マナで、多くの打ち消し系カードの基準カードだ。これにおまけの効果をつけたカードは4マナ以上になる。そうそう、<取り消し>にライブラリ破壊の付いた<撤回命令>はこの例だ。打消し系は基本的なスペルなので、こうした派生カードは多いね。

解消

ただし、おまけ効果が軽微であると見なされれば、マナコストが上がらない場合もあるんだ。こうしたカードには強いものが多い。<解消><取り消し>に占術1が付いているが、コストは同じだ。占術1は軽微なおまけ効果と言えない強さがあり、これでは<取り消し>は立場がないとも言える。



まさに完全上位互換

翻弄する魔道士

しかし<取り消し>が基準として存在しているからこそ<解消>の強さが光るというものだ。また、実戦では5枚以上の3マナ確定カウンターをデッキに投入したければ<取り消し>の存在意義も出てくる。カード名を指定しプレイを禁止する<翻弄する魔道士>や、同じ名前のカードを全て除外する<ロボトミー>のような効果に対しては、カード名が違うことに意味があるね。


クリス・ピキュラのインビテーショナル・カード

逆に元のカードより不便になれば、マナコストは安くなることになるね。<無効化>はクリーチャー呪文とエンチャントしか打ち消せないが、代わりに1マナコストが安くなっている。用途の幅が狭くなった代わりにコストが抑えられているわけだ。

デッキや環境によっては、こうした"不便さ"が問題にならなくなることがある。もし環境がクリーチャーデッキであふれ返っているなら、<無効化>は十分なパフォーマンスを発揮するだろうね。逆に、パーミッション系や瞬殺コンボデッキが流行っているなら手札に腐る機会が多くなるだろう。

環境への基準

ここまで<取り消し>を基準に、その周辺カードについて見てきたね。ここからは2つ目の意味での"基準"について話そう。もう一つの意味の基準は、もっとゲームの根幹にある"基準"なんだよ。<取り消し>を1UUというコストにすることで、今の環境が成り立っていると言っていい。無関係な他のカードのデザインにまで影響を与えている。バランスの中心にあるカードの一つだ。同じような役割を持つカードとしては、<ショック><破滅の刃>あたりが挙げられる。

ショック

では今度は<ショック>を例にとろう。このカードを有用なカードであると位置づけたい場合、1マナでタフネス3以上のクリーチャーをデザインする場合、特に注意が必要になるということが理解できるだろう。こんなクリーチャーが大量にいたり、または強すぎる能力を持っていてどんなデッキにも入るようなことがあれば、<ショック>は有用なカードではなくなる。逆説的に、そういったクリーチャーはデザインされない、ということだ。

最初は仕方なく使ったものだ

<ショック>がクリーチャー・デザインの基準になっているということが分かったかな。しかし、この例はあくまでも<ショック>が環境の基準として存在している場合の話なんだ。もう知っているように、この基準は変わる場合がある。かつては<稲妻>が環境の基準だった。<ショック>環境では優秀なタフネス3のクリーチャーも、<稲妻>環境では十分な性能とは言えなくなる場合があるだろう。

環境を刺激する

稲妻

単純に<稲妻>が強くて<ショック>が弱い、という話ではない、ということだ。このようなカードの"入れ替え"は、環境を変えるという目的で実施されているんだ。<稲妻>が基準であっても、その基準に合ったカードプールを提供すれば環境は成り立つ。トーナメントで全員が<稲妻>を4枚投入した同じようなデッキにならない限り、環境への"刺激"は成功したとみなされるだろう。


当時、まさかの再録に驚いたものだ

別の観点では、<旅する哲人>も基準カードといえるかな。2マナ2/2バニラというパフォーマンスは限定環境で見れば可もなく不可もない、といった位置づけだ。これにメリットが付いていれば強いカードで、デメリットが付いているなら弱いカードといえるだろう。色やレアリティも勘案しなくてはならないが、基準という意味では分かりやすい。こうした基準のクリーチャーを除去できる<ショック>もまた、基準たり得るというわけだね。

対抗呪文

<ショック><稲妻>の主な用途はクリーチャー除去で、クリーチャー・デザインの際にタフネスと能力を考慮すればバランスを取り得るが、<取り消し>のような打ち消し呪文はそうはいかない。あらゆるカードを対象にとり得るため、影響の度合いが比べ物にならないほど大きくなる<対抗呪文>から<取り消し>に環境を変えるというのは、ゲームの再デザインといえるような作業だっただろう。


その重要性からアイスエイジからはコモンに


パーミッションのこれから

石の雨個人的な好みの話になるが、パーミッションやコントロール系スペルの話をしよう。打ち消しの基準を3マナにするとどうなるか、様々な事例が考えられるがひとつ例を挙げてみる。単発で致命的な効果を持つカードのマナコストの基準は4マナ以上にすべき、だろうね。強力な効果を持った呪文のコストを3マナ以下にすると、先攻がそれをキャストした際に後攻は土地を2枚しか置いていない、ということになる。これだと<取り消し>では対処できない。この理由から<取り消し>が基準である限り<石の雨>が基本セットに再録される可能性は低いと思っているよ。

<否認>が強い環境になればあるいは


取り消しブラフで残すマナは2マナから3マナに変わり、青いデッキの動きはますます緩慢になった。<取り消し>以外の打消し系カードも、昔と比べ全体的に質が下がっている。私の好きだったカウンター・ポストやヨーロピアン・ブルーのような極端に遅いパーミッション・デッキが隆盛する日はもう来ないかもしれないね。現在、"デッキの基準"はクリーチャーを中心としたデッキだ。タイム・リソース・アドバンテージの公平性を大きく損なう低速パーミッション・デッキの隆盛は、マジックのビジネス的観点から望めないと思っているよ。


パーミッションは時間を使いすぎ!


今の基本セットには、4マナの<神の怒り>系カードが存在していない。あるのは6マナの<次元の浄化>だ。おそらく事前に<至高の評決>がデザインされていたのだろう。4マナ域に全体クリーチャー除去が8枚もデッキ投入されてはまずい、と判断したんじゃないかな。次の基本セットには何かしらの全体除去が収録されるか、そうでなければその次のセットあたりで派生カードが入ると思うね。白い全体除去の存在自体、環境の基準だからだ。今のところはね。


マジックの面白い点は、こうした基準が変わることにある。最初は戸惑うが、デュエリストたちは徐々に慣れていき、やがて新しい環境を楽しめるようになる。変化を楽しむ、という姿勢は、まさに人間らしい知的なゲームだといえるだろう。ほれ、<永遠の炎のタイタン>をキャストだ。さっき君は<旅する哲人>は弱いと言っていたね。うちの人間は知的なんだ。すぐに火の扱いを覚えるよ・・・。